沿革

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八幡市スポーツ協会の沿革(スポーツ協会、スポーツ少年団、世間の出来事)

 

【はじめに】

  昭和39年(1964)の東京オリンピックの成功により、あらゆるところで各種スポーツが国民の日常の社会生活に入り込んできたように思える。わが八幡町内でも小中学校のグラウンドや体育館を利用してのスポーツを楽しむ、特に、社会人軟式野球や家庭婦人のバレーボールが冠大会を開催し、また剣道や柔道の指導者が少年達を指導、このように多彩な取り組みが始まっている。

昭和53年頃から始まった八幡町長杯社会人軟式野球大会はこの代表的な取り組みでした。市内の企業や地域、町内会、各学校の卒業生同士といったチームが増え、町長杯にエントリー、それも男山中学校のグラウンド1面のみの使用でかなりの長期間の日程で大会が開催されていました。

 さて、この八幡町長杯社会人軟式野球大会で16の町民のチームが覇を競い合っていたそうです。今も町長杯は市長杯に名を変えて引き続き開催され、他の競技種目団体によき影響を及ぼしている。

現八幡市体育協会傘下での一番歴史のある競技団体、八幡市軟式野球連盟が八幡市長旗の第10回大会を記念して発行された記念誌に、八幡市体育振興会設立のきっかけになる文章が記されていました。

「八幡町軟式野球連盟こそは、町民スポーツ団体として大きな組織となった体育振興会の源流であり、かつ活力源でもある。」

 これは第10回八幡市長旗争奪軟式野球大会の記念誌に掲載されている初代理事長の回顧録の一部です。

 この一文にあるように八幡町民に、八幡町の社会体育に、町民スポーツ団体に、大きな歴史を生み出した。この大きな歴史、言い換えれば各種体育団体を統括する体育振興会を生み出し、現体育協会の50周年を迎える、正に源流です。この母体になったのがこの軟式野球連盟、家庭婦人バレーボールの各チーム、卓球連盟、剣道連盟等が支援されてきたものです。が、町当局や教育委員会の支援をされてきた、いわゆる行政主導の大会のようでありました。

 

 

 

昭和43年(1968)

八幡町体育振興会創設

     当時の八幡市

21,495人  男10,738人  女10,757人  世帯数5,061戸

南ヶ丘保育園・吉野保育園・八幡保育園・西遊寺保育園

八幡幼稚園・八幡第2幼稚園

八幡小学校・都々城小学校・有智郷小学校

男山中学校

ダイル電話が開通  八幡町役場981-3111番

消防本部が24時間常駐体制に、消防長以下職員7名

町長杯争奪軟式野球大会が16チーム参加されて開催     

昭和46年(1971)

      府立八幡高校開校

昭和47年(1972)

      第2小学校 第2中学校開校

      男山団地入居開始 人口3万人台に

昭和48年(1973)

      川北自然運動公園開園

昭和49年(1974)

      第3小学校 橋本小学校開校

昭和50年(1975) 

      有都小学校 中央小学校 第3中学校開校

      さつき公園開園

      人口5万人突破

昭和51年(1976)

  体育振興会加盟団体

     家庭婦人バレーボール連盟 社会人野球連盟 柔道連盟 卓球連盟 テニス連盟 剣道連盟 ソフトボール連盟

      モントリオールオリンピック

昭和52年(1977)

      市制施行11月1日「八幡市」となる。

  体育振興会加盟団体(八幡市体育振興会に)

     空手道連盟加入

      第4小学校開校

昭和53年(1978)

      市役所新庁舎開庁

      人口6万人突破

昭和55年(1980)

      第5小学校開校

昭和56年(1981)

      東小学校開校

昭和58年(1983)

  体育振興会加盟団体

    八幡サッカー協会加入

     男山中学校新築移転

     南八幡高校開校

     人口7万人突破

 

 

昭和59年(1984)

  体育振興会加盟団体

    婦人会体育部 健康体操連盟加入

昭和60年(1985)

  八幡市民総合体育大会総合開会式

  京都府体育協会加盟

昭和61年(1986)

  八幡市スポーツ少年団本部発足

   本部長 赤川 行男

   副本部長 森下 善三 野村 和美

   クリーン大作戦 八幡市駅周辺~八幡市役所

  八幡市ロードレース大会

      男山東中学校開校

昭和62年(1987)

  体育振興会加盟団体

   ゲートボール連合加入

  八幡市スポーツ少年団

   日本・京都府スポーツ少年団に登録

    40単位団 団員1,093名 指導者248名登録

      市民スポーツ公園・市民体育館完成

      男山レクリエーションセンター完成

      南山小学校開校

 

 

昭和63年(1988)

  京都国体 

八幡市会場ハンドボール競技 デモンストレーション競技綱引き

第五小学校で夏まつり開催

新春のつどい第三小~石清水八幡宮~さつき公園

      背割り堤桜並木を一般開放

昭和64年1月7日(1989)

      天皇陛下崩御   新元号「平成」

平成元年(1989)

  体育振興会加盟団体

    地域体育振興会橋本 内里 吉井松里加入

  新春のつどい駅伝大会

  認定指導員・指導者講習、研修会

  指導者協議会発足

  第1回山城ブロック交流フェスタ太陽が丘Gで開催

  京都府民総合体育大会初参加

平成2年(1990)

  地域交流ソフトバレーボール大会

  指導者・母集団・関係者交流懇親会

  国際ソロプチミストより「八幡市スポーツ少年団旗」贈呈を受ける

      ふるさとコミバス2台購入

 

 

 

平成3年(1991)

  府民総体総合9位 入賞まで後一歩     

  5周年記念講演会 講師衣笠 祥雄氏

  日独同時交流 ドイツ少年団八幡市で受け入れ

    団員13名 団長1名

男山文化ホール・図書館開館

平成4年(1992)

  体育振興会加盟団体

    地域体育振興会上区 中区 美濃山 A B C D加入

  指導者・母集団・関係者交流懇親会でオークションを

   この売上金で「スポーツ振興基金」

  夏まつり 

   日本スポーツ少年団30周年を記念して地球30周チャレンジ大会

   市内をリレーして八幡小学校に到着

      八幡警察署開署

      きんめい公園開園

平成5年(1993)

  ソフトバレーボール大会

  指導者・母集団スポーツ交流大会

      菱田 嘉明氏市長に

平成6年(1994)

  地域交流ソフトボール大会

  京都府スポーツ少年団剣道大会を八幡市で開催

      阪神大震災被災地へ市民の善意を   善意金2,613万円

平成7年(1995)

  第17回府民総体総合9位 入賞まであと一歩

  屋外イベント用のテント1張り購入

      市民スポーツ公園ナイター設備完成

平成8年(1996)

  市民マラソン大会開催(川口グラウンド発着)

  市体育協会移行検討委員会設置

  全国スポーツ少年団交流大会丹波自然運動公園で開催

    赤川八幡市本部長がこの大会の実行委員長に

      地域防災無線システム全局運用開始

平成9年(1997)

  八幡市体育協会設立

    八幡市体育振興会を発展的改組

  指導者・母集団スポーツ交流大会(ソフトボール)

  新春のつどいマラソン大会

      市制20周年記念事業

平成10年(1998)

  新春のつどい・ウオークラリー開催

    松花堂庭園発着~石清水八幡宮~さつきグラウンド~さくら公園経由

  日独同時交流八幡市で受け入れ 団長1・団員13名

  新春のつどいマラソンを体協の要請により八幡市民マラソンに移行

      生涯学習センター開館

 

 

平成11年(1999)

  グラウンドゴルフ交流大会

  大運動会開催

    全団員を各小学校区に分け、綱引き・障害物リレー等で対抗戦

      第1回佐藤康光杯将棋大会開催  

平成12年(2000)  

  市民マラソン大会の川口グラウンド発着を今年度限りとする。

  日本スポーツ少年団「ジュニアスポーツセミナー」を八幡市で開催

平成13年(2001)

  市民マラソン大会の発着を市民グラウンドに。

    参加者多数になり、5・10・ハーフをサイクリングロード。

    2・3kmを工業団地周回に。

  大運動会開催

      市民交流センター開館

市民交流センターに市体協、市文化協会事務局開設

平成14年(2002)

  新春のつどい・ウオークラリー&うす茶で一服

    市体協、市文協と共催となる。

  子どもスポーツフェスタ開催

    大運動会、縄跳び大会を一本化

      2002年FIFAワールドカップ日韓共催

      松花堂美術館開館

      四季彩館オープン

      市制施行25周年

平成15年(2003)

  山城ブロックバレーボール大会

  八幡ライオンズクラブよりテント2張り寄贈

  野村 和美氏本部長に就任

    副本部長 大久保 勲一 松本益千嘉 細川 秀臣

      新消防庁舎・市民防災広場開設

平成16年(2004)

  府民総体過去最低の16位

  国体近畿ブロック大会ハンドボール競技を担当開催

  古紙回収を始める

  八幡ライオンズクラブよりハンドマイク10本寄贈

      市民スポーツ公園整備完了

平成17年(2005)

  山城ブロックテニス大会

  八幡市民マラソン大会

    八幡ライオンズクラブより大会用Tシャツ寄贈

  日独同時交流でリーダー1名ドイツニーダーザクセンに派遣

      文化振興条例施行

平成18年(2006)

  府民総体サッカー競技決勝大会八幡市が会場に

    この大会で八幡市が堂々の優勝

  エコロベースボール交流会

  日独同時交流団員6名 団長1名八幡市で受け入れ

  創設20周年記念実行委員会立ち上げ

  リーダー会発足

      指定管理者制度導入、公園施設事業団も指定管理者に

平成19年(2007)

  初春のつどいウオークラリー&お茶を一服

  創設20周年記念事業を開催

    ミュージカル「八幡市四季彩 春夏秋冬」

      市制施行30周年記念式典

      第4次総合計画策定

平成20年(2008)

  競技スポーツ交流会グラウンドゴルフ大会

     さくら小学校開校

     八幡小学校と東小学校が統合

平成21年(2009)

  レク連 市民合同交流会

      男女共同参画推進条例施行

平成22年(2010)

  競技スポーツ交流会

      くすのき小学校開校

      第二京阪道路全線開通

平成23年(2011)

  府民総体依然として入賞ならず、11位

      南ヶ丘・都両隣保館を人権交流センターに名称変更

 

 

平成24年(2012)

  手でポン交流会

      市制施行35周年

      昭乗広場完成

平成25年(2013)

  ニュースポーツカローリング交流会

      市民協働活動センター開設

平成26年(2014)

  八幡市体育協会が一般社団法人に

  府民総体17位、最低順位更新

      松花堂及び書院庭園が名勝に指定される。

平成27年(2015)

  レク連合同交流会

      子ども・子育てセンター開設

平成28年(2016)  

      石清水八幡宮国宝指定

平成29年(2017)